「孫フィーバー対策本部」にお越し下さりありがとうございます!
ここでは簡単に管理人・ねこまるのプロフィールと、我が家の嫁姑事情、このブログで書いていきたいことを紹介していきたいと思います。
もくじ
ねこまるのプロフィール
名前 | ねこまる(3秒で決定) |
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年齢 | アラサー |
家族構成 | 夫、子ども2人 |
職業 | フルタイム会社員(社畜) |
ふざけた自画像ですみません。ねこまると申します。
何を書くべきか悩むくらい、至って普通のワーママです。
まさか自分が嫁姑に悩み、ブログを開設するまでに至るとは思ってもいませんでした。
そんな我が家の嫁姑事情を、身バレに恐怖しながら紹介したいと思います。
我が家で嫁姑問題が勃発したきっかけ
我が家で嫁姑+舅問題が勃発したきっかけは、ズバリ出産です。
今思い起こせば出産前もつわりで死んでる時に家に突撃してきたり、義母友の孫のお古を断ったのに大量に送りつけてきたりと色々ありましたが…
それでも極めて良好な関係を築いていました。
しかし、2015年に第一子を出産してから関係は一変。
嫁姑関係に亀裂を生み始めたのは、常位胎盤早期剥離で緊急帝王切開となった当日のことでした。
…というやり取りの後、速攻で駆けつけて来た義母(※義父は出張のため不在)。
私は手術中でこのやり取りを知らず。
帝王切開が終わり手術室から運ばれて出たところを一番に義母に迎えられ、心の中で「なんでいんの!?」と叫びつつ、そのまま義母にベッタリ付き添われたまま病室に運ばれ…。
麻酔と熱で意識が朦朧とする中、赤ちゃんを我先に抱っこしてキャッキャする義母に面会終了時間まで付き合わされるという事態に。
胎盤早剥という緊急事態による帝王切開で、精神的にもかなり不安で疲弊している所にこの義母のテンションは、術後というのも相まってかなり応えました。
そして迎えた面会終了時間、
と言い残して病室を後にした義母に「頼んでねええええ」という凄絶なツッコミを心の中で決めたのが、義母に対して違和感を持ち始めた瞬間でした。
産後入院中の義母との戦い
その後も宣言通り入院期間の7日中7日来るという皆勤賞を果たした義母。
義父も出張から戻ってきたその足で病院へ駆けつけ、退院までの5日間フル出勤をかましてくれました。
私が尿カテーテルが繋がってておしっこ丸見えだろうが、授乳中だろうが、食事が配膳されようが(流動食を見てプッと吹き出す始末)、シャワーに3−4日入れてなかろうが、夫がいようがいなかろうが構わず普通ーーーーに毎日何時間も滞在していくので、
次第に私の精神も追い詰められていきました。
産後の手伝いをめぐる義母との戦い
入院中に覚え始めた義両親への違和感は、産後の手伝いを巡ってさらに深化していきました。
産後は元々実家へ里帰りする予定でしたが、術後健診が退院一週間後にあったため、それが終わるまでは自宅で過ごす事に。
それを聞きつけた義母、
と超前のめりで申し出てきました。
でももう入院中のお見舞いでいっぱいいっぱいだった私。
夫に断ってもらったのですが、「何言ってるの!!産後は寝てなきゃいけないんだから行くわよ!!」と聞かず。
当時の攻防はこちらの記事↓で少し書きましたが、何を言ってもまあ引きませんでした。
これ以上なんと断ろうと頭を悩ませつつも断固拒否を続けたおかげか、具体的な予定が決まることなく無事退院日を迎えました。
なんとかいなせたか…
と思いきや、まさかの夫の裏切りにあいました。
という謎の交換条件を出してきたのです。
かわりにって何!?産後の世話って、あんた誰のためにやるか分かってんの!?ていうか週末はお前が頑張れよ!!と今なら言うけど、
当時はまだ義両親に対しても「善意だし…」という気持ちが残っていた私、物凄く嫌でしたが実母の手伝いを断り、義両親に来てもらうことにしました。
が、これもまた悲劇。
昼過ぎに来た義両親、結局赤ちゃんと戯れるだけで22時過ぎまで帰らず!!
ゴミは分別しないわキッチンは汚すわで、義両親の帰宅後後片付けをする羽目に…。
頻回授乳のスキマの貴重な睡眠時間も削り、休めるどころかどっと疲れて終わりました。
その後の義両親との戦い
その後も義両親とは本当ーーーーーに色々ありました。
- アポなし訪問常習犯
- 退院日に60〜130cmの子供服を大量に送りつけられる
- ↑さらに会う度に10着以上手渡される
- ↑さらに宅急便で(略)
- 産後1ヶ月半の頃、義母友を連れて突然来訪
- お宮参りやお食い初めなどの行事を仕切る
- 毎日孫の写真を送らないと催促がくる
- 夜に突然「孫ちゃんに会いたい」と呼び出される
- 生後2週間頃から孫を預かりたいとしつこい
- 会っている時は無言で奪い抱っこ独占、どこかへ消えていく
- 赤ちゃんに「ママですよ〜(義母)」「愛想笑いしないとママに世話してもらえないぞ(義父)」「虐待しないでね」などの無神経な発言多数
- 実家の両親にしきりに「孫をありがとう」と言い続ける
大体生後3ヶ月までに起きたことを羅列しました。その後も色々あったけど書ききれないので割愛。
ひとつひとつは小さな事かもしれませんが、産後で神経が敏感になっていたのと塵も積もればでだんだんと我慢の限界に達していきました。
頻繁な訪問も無神経な発言もとても流せなくなり、義両親に会うとどうしようもなくイライラしてたまらなくなったのです。
夫との戦い
今でこそちゃんと味方になってくれる夫ですが、この頃は親に強く言えないダメ夫でした。
相談しても、
- 親も悪気はないんだよ
- だからスルーするしかない
- 俺もしんどいけどそのうち我慢できるようになるから
とお決まりのセリフを吐いて終了。
義両親に話すこともせず、ただ私を宥める夫。
義両親は一切変わらないし、だんだん夫の対応にもイライラし始めこちらの怒りも爆発。
「悪気がないんじゃなくて、常識がないんでしょ!!」と言うと、
- 孫が可愛いんだから仕方ないだろ!
- ありがたいと思えないお前は病気だから病院にいけ!!
と逆ギレしてきました。
同時に義両親にも私が精神病でおかしくなっているという話をしたらしく、義両親からも病院に行くように促される始末。
その間も義両親の孫フィーバーによる暴走は続き、それに物申すと夫に罵倒される日々。
義両親+夫からのストレスで、産後3ヶ月頃には母乳が止まりました。
睡眠も食事もとれなくなり、体重も30kg台まで落ちました。
完全なる鬱状態で、辛すぎてこの頃の記憶があまりありません。
夫が覚醒したキッカケ
そんな夫ですが、なんとその後改心したのです。ちゃんと嫁を守れる夫へと変貌しました。
そのきっかけは、3つあります。
- 義兄が諭してくれた
- 離婚を切り出した
- 夫の友人夫婦が離婚した
キッカケその1: 義兄が諭してくれた
あんな義両親から生まれた義兄ですが、かなりまともな人でした。
夫から「嫁がうちの親の孫フィーバーが嫌だって言ってて困ってんだけど」と相談を受けた義兄、
「俺もそうなんじゃないかと思ってたよ。やりすぎだろ、父さんも母さんも」
とまさかの神回答!!!
「入院中も毎日行くなって言ったんだけど。親には俺から話そうか?」とかなり親身になってくれました。
なぜか夫はそこから手のひら返し「俺も目に余ると思ってたんだよ」と言い出し(!?)、ここから夫の中での義両親の認識が大きく変わったように感じます。
キッカケその2: 本気で離婚を切り出した
本気で離婚を考えていることを伝えました。
精神病扱いされた当時の私、心身の健康を保ち育児に集中するためには、旦那ごと義両親を切り捨てるしか手段がありませんでした。
離婚届も取りに行き、いつでも出せる状態にして手元に持ち「これ以上続くなら離婚するしかないと思っている」と夫に切り出しました。
夫は私がそこまで考えていたとは想定していなかったようで、ようやく真剣に考えてくれるようになりました。
「親と話すから」と言ってくれ、そこから実際に何度も義両親と話し合いをしてくれるようになりました。
キッカケその3: 夫の友人夫婦が離婚した
あとは、私と義両親の事で揉めていた時にちょうど同じような理由で夫の友人夫婦が離婚したことも夫が変わったキッカケでした。
その友人は夫の幼馴染(男性)で、親同士も仲良くて私も何度かお姑さんに会った事があるのですが、まあ、義母によく似たタイプの人でした。
夫もそれをよく知っているので、この離婚には考えさせられるものがあった模様…。
私の言い分が私個人的なものではなく、もっと普遍的にお嫁さんが嫌がるものなのだとようやくここで理解し始めたようでした。
プラスして、元々夫自身も親に対する疑問を持っていた
あとは、夫自身もずっと両親がしんどいという気持ちはあったようです。
思春期は何度も衝突し、学校以外は部屋に閉じこもって出なくなり、大人になった今でも義両親の前では素を出せないと言っています。
それなりに親への感謝はありつつも、どこかで親に対する不信感を持っていた…から覚醒したのかなとも思います。
義両親が決定的に無理になる
話が前後しますが、当時夫があまりにも役に立たないので、私は意を決して義両親に直接話す決意をしました。
内容は頻繁に訪問されると休めないから控えてほしい、というもの。
これまでもやんわり伝えてきたのですが「私は気にしないから〜」「すぐ帰るから」「遠慮しなくていいのよ」などと言われ全く伝わらなかったので、ハッキリやめてほしいと伝えることにしたのです。
まだ当時は義両親の良心を信じていた頃。きっと話せば理解してくれる…どこかでそう思っていました。
しかし返ってきた言葉は、
義母「そんな事言うなんて信じられない!!口の聞き方に気を付けなさい!!」
義父「善意を何だと思ってるんだ!人の気持ちが分からない人間だな」
という私を批判する言葉でした。
私の甘っちょろい想像を遥かに超えたこの言葉に、怒りよりも先に心のシャッターが一気に下りるのを感じました。
この時私は初めて、
話し合いが出来ない人間の存在、
自分の言動で傷付いた人がいても、受け取り方が悪いと相手を批判する人間の存在を知り、衝撃を受けました。
義両親が決定的に無理になったキッカケはもうひとつあります。
夫と最高に揉めていた頃、一ヶ月ほど義両親に会わない期間がありました。
何度か孫に会いたいと連絡を入れたのを、おおかた夫に「嫁と揉めてる」とでも断られたんでしょう。
義両親、実家の両親を呼び出し「嫁が孫を会わせたくないと言っているらしい。親なら何とか言って聞かせろ!!」と文句を飛ばしてきたのです。
義両親の全ての発言が「自分たちはこんなに良くしてるのに、嫁の態度が悪い」という文句に帰結。
ついでに夫から私が病気だと聞いていたので「精神不安定なんだ」とも言ってきたらしく。
両親は「娘は病気ではない。親といえど距離感が必要。娘も息子さんも独立したいい大人なのだから、親の思い通りにはなりませんよ」と返してくれたようですが、
義両親は「干渉は一切してない」との事で、その言葉は届かず響かず…。
義両親のこの自覚のなさ、親を呼びつけて文句を言うやり方、そうまでして孫に会おうとする必死さ(しかもたった一ヶ月会えないだけで)に言葉が出ませんでした。
この辺りから生理的に義両親を受け付けなくなり、向こうからの接触があると嘔吐と蕁麻疹に悩まされる事態に…。
文字通り、身も心も義両親を拒絶するようになりました。
いい嫁キャンペーン終了へ
その後夫からも話をしてくれましたが、何を言っても「でも自分達は助けるためにやっていた」の一点張り。
夫も「久しぶりに親のしんどさを思い出した」と嘆くほど、全くもって反省はなく(これも夫が変わった理由のひとつかもしれません)。
これをもっていい嫁キャンペーンは完全終了となりました。
現在は会う頻度を決めて、それ以上は会わない。そして会わない間の接触はしない。これを徹底しています。
それでもまだ突撃訪問があったり頻繁に大量の物資は送られてくるのですが、居留守したり物資は後処理まで全て原則夫に対応してもらっています。
いい嫁をやめて、本当に楽になりました!!
※ここで言ういい嫁=義両親に物申さず、反抗せず、やられっぱなしの嫁の事です。
義両親との距離感も自分でコントロール出来るし、接点は減らせるし、嫌なことがあれば面と向かって拒絶できるしストレスが激減。
我が家は都内在住のため、コロナにより会う頻度が更に減少。たまに突撃訪問はしてくるのですが、体調はかなり回復しました。
こうやって経緯を書いてみると、あの時よく離婚しなかったなと思います。
まあ今は夫はとりあえずちゃんと機能しているのと、自分自身も悪嫁と化したことでかなり楽になったのでよしとしています。
このブログで書きたいこと
経緯が長くなってしまいましたが…このブログを立ち上げたのはこんな願いがあったからでうす。
- 孫フィーバーに苦しむお嫁さんの気持ちを代弁したい
- 孫フィーバーがいかに産後の母親を傷付けるか、認知を広げたい
孫フィーバーは一見孫への愛情・善意なので、お嫁さん自身が罪悪感を抱いてしまったり、パートナーから理解を得るのがかなり大変です。
実際私もどうして嫌なのか、何が問題なのかを整理して言語化するのがとても難しかったです。
このブログを開設した大きな理由が、こうした嫁側の気持ちを代弁できるようなコンテンツを作りたいと思ったこと。
自分のモヤモヤをピッタリの言葉で言語化してくれると、「そうそうこれこれ!!」と気持ちも楽になるし、他の人にも説明しやすいんですよね。
おこがましいかもしれませんが、旦那さんへの説得材料だけでなく、「嫌な気持ちになるのはあなただけじゃないよ!」とお嫁さんの心も救えるブログになれたらいいな…と思っています。
同時に、度が過ぎた孫フィーバーがいかに嫁を苦しめるか認知を広げたいと思っています。
孫フィーバーというと、孫をとにかく可愛がってくれて何でも買ってくれて羨ましい!と言われがち。
良い面ばかり想像され周囲から理解も得られにくく、何なら責められることすらあるほどですが、孫フィーバーはそんなに都合の良いものではありません。
同じような被害者を出さないために、これからおばあちゃんになる人や旦那さんの参考にもなるような記事を書けたらなと思います。
私の力量不足もあり、毎回頭を抱えながら記事を書いていますがどなかのお役に立てればとてもうれしく思います。
拙いブログですが、よろしくお願いします。
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